おkと言えれば仲間

おk、なんて人生で使う日が来るなんて思ってもいたかったと、冬木はPCの前で思った。正確には思ってなかったわけではなく、その日まで使おうとも思っていたかった語彙を、ふと自らの指が丁寧にタイピングするところをみて、「思ってもなかった」ということ実感した。

職場ではそれを揶揄するものはいなかったし、なんなら連中は使って当たり前の環境ということもあり、その職場だから使ったということを冬木はすっかり忘れていた。忘れられるほどには仕事にもなれ、次のステップはどこかなと足元の確認をしている矢先だった。

 

花を買った。買った直後にもうすこし秋らしい色の花にすればよかったか?と考えもしたが、候補に入った秋らしい色のブーケは「カジュアルブーケ」として売られており、それらの花の名前が書いてなかった。決定打ではないものの、出来れば今日は自分が買った花の名前を知っておきたいような気がして、買った後の後悔の念はすぐに消えた。

花の名は「ブルースター」。飾らない、奇を衒わない、講釈を挟まさせない名前がすこし面白かった。

頭上には濃い青空がひろがっているが、視線を落として、向こうにみえるマンション群の上を眺めると、灰色の雲が覆うように、とてもゆっくりと流れていた。さらにその先、マンションとマンションの間からみえる、奥の風景からは太陽の光に透かされたクリーム色に光る雲が見える。手前の雲がゆっくりと流れると、時折その隙間から強い日光が、こちらにも届く。

当たり前の話だが、雲は地表と太陽に挟まれて広がっている。そのため、こちらからは灰色に見えても、その灰色は光を通さなかった影であり、太陽側の表面はきっと明るい。地球から見た灰色の雲も、よく縁をみるとかなり明るく発光している箇所がある。その光の関係を見ることで、我々は雲に厚みを感じることができる。

目の前に広がる隅田川の川上、青い永代橋の向こうから小型船のエンジンの長い低音が聞こえ、その手前の緑色の隅田川大橋を走る車の音と、車両が通るたびに、橋の接続部分の上を過ぎる際に立てるカタンカタンという音が聞こえる。河川の遊歩道には、幅の狭い草むらが川に沿って続き、そこからはコオロギの鳴く声が、断続的に聞こえている。川の奥の方から走ってくるランニングの足音が、聞こえてくるような聞こえてこないような音量から、ゆっくりと音に輪郭を与え、実際に近づいてくる。

地上には陽の光が届いて、明るく広がっているものの、空には薄い灰色の雲が広がり、今日の天気の行方の不安を感じさせている。薄い雲は、絵で見るような青い空に白い雲が配置されている、というビジュアルからはかけ離れており、雲があるというより、空の青さから灰色へのグラデーションを作るように、さらに漂う。その灰色の雲の下には、先に出した絵のように、白くて固そうな雲がポツンポツンといくつか浮かんでいる。

灰色の雲のグラデーションは片側だけで、もう片方の切れ目は鱗雲になっていて、こちらは天気への不安を感じさせず、秋の気概を空に持ち込んでいる。

コーナン

雨上がりの日にクラッシックカーで2人、コーナンの開店をまっている。

ねえ、なんでそんなに突然木材が必要になったの?女は小さい声で問いたが、男は答えない。2人は手を握りあい、沈黙の中ながら力が強くなった。

すこし間があいて、男が語り出した。

「おれはもうこのままでは生きていけない、もし生きていけるとすれば、全てをこの手で作り出していかなきゃならない。それにはまず木材が必要なんだ」

女は特に返事をせず、小さなため息だけが車中をかすめた。

またしばらく経ち、ステレオの時計が9時丁度をしめした。その瞬間に男はキーを回し、エンジンが大きな音を立て始めた。

 

ストロー

黒く固められ熱を集めるアスファルト道路の上に、透明なプラスチックの蓋が一つ落ちている。同じ口径のプラスチックカップは見当たらず、ただ蓋のみが、その中央に開けられた星形に黒いストローをさされたままで、不安げに転がっている。そのストローは上からちょうど三分の一の場所が蛇腹状になり、そこで曲がっていて、曲がった先を地面に突き立て、地に対して「へ」のような形でバランスをとっている。それは、伏した人間が立ち上がろうとする力を込めた一手目、片腕を思い切り地面に突き立てるような動きを彷彿とさせた。

小倉トーストあれこれ

なんとなく初めて入った喫茶店で、小倉トーストを注文して、それにナイフとフォークを添えられたら、誰しもそれらを駆使して小倉トーストを食べることになる。それはこの店のルールだ、と言わんばかりに机に置かれたのだし、もしくは最初はみんな手で食べていたが食べにくいと言う苦情がかなりあって、以後親切心でそのセットを付けることにしたのかもしれない。

私がコーヒーを飲む向かいで、亀山が小倉トーストを躍起になって細かいグリットに切り分けている。

「トーストを切り分けることがそもそもやったことがないよ」亀山はいった。白い皿にカトラリーが当たるカチャカチャとした音が聞こえる。

私はー、言いかけた途中で亀山がそれを遮る。ごめんその紙とってくれる?小豆が白い皿の縁の下に1粒転がっている。

テーブルに備えついた紙を渡すと、彼はフォークを左手の人差し指と親指だけで支えて、残りの指で器用に机を拭いた。

「それ、すごいね」感心して私はいった。

亀山は何を言われているかわからない顔をしているので、さらに補足した「いや、そのフォークを持ちながら紙で拭いて」

「そうでもないけどね、多分やればできるけど意識したことがないだけではないのかな?」亀山は続ける「別に2つのこと、全てが同時にできるわけでもないし、凄そうに見えているだけ」作業を黙々と続け、顔も下を向いたままに亀山は言う。

なんだか納得のいかない説明を受けた私はこれ以上続けても意味がないと感じたので、口をつぐんだ。