『横山大ピンチ』について
乗代雄介さんのブログ『ミック・エイヴォリーのアンダーパンツ』には現在727の文章が並んでいて、全てが面白い。
初期の創作『横山大ピンチ』について書く。
http://norishiro7.hatenablog.com/entry/20070413/1176533617
『横山大ピンチ』は、崖と崖の間を自らの体を橋にした先生と、それを渡る39人の生徒の話だ。まだ渡っていない最後の1人で、肥満児の横山が渡る瞬間が描かれている。
面白かった部分は以下3点である、短い文章なのでほとんど引用する事になるが引用する。
1点目は、横山の肥満にまつわる描写。
しかし横山は肥満児だった。Aクラス肥満児だった。みんなの目が横山の体にフィットした紺色のトレーナーに向けられた。
「あれ、大人用のSサイズらしいよ」
大人用のSという表現が、肥満児にリアリティを与える。
2点目は、横山が先生を渡る時の描写。
いよいよ横山が先生の背中に足をかけた。そして横山が崖からもう一方の足を離した途端、先生の体がかなりしなった。少し離れたところから見たみんなの目にはもう先生の手と横山の顔しか見えなかった。
横山の重さに「しなる」先生の体が、他の「みんな」から見た時に、「もう先生の手と横山の顔しか見えなかった」と表現される。
そこまで三人称で語られていた物語が、いきなり「みんな」からの視点となり、カメラが移動して崖の縁から「先生の手と横山の顔」が読者に見える。
その目線の運動と、緊張感の中で突然にシンプルになった風景への差異が面白さに変わる。
3点目は、最後の描写。
「横山!」
「おい横山!」
「頑張れよ横山!」
「こら横山!」
「しっかりしろよ横山」
「横山何してんだよ!」
「お前どうなってんだよ横山!」
「おかしいだろ横山!」
「これ横山やばいだろ!」
「大ピンチだろ横山!」
「必死になれよ横山!」
その横山はむしろ、みんなの心の中で、今現在かなり背骨やばい31歳の横山の方だった。みんなはこんな時にさえ、当然呼び捨てにされるべきと考えられる肥満児をカモフラージュにして先生を呼び捨てにするというスリルに溺れていた。親の教育が悪いと思っていた。
みんなが横山に威勢よく声をかけるが、実は(それが明らかになる不必要な快楽は描かれない)先生の名前も「横山」で、彼らは肥満児の横山に声をかけるふりをして「先生を呼び捨てにするというスリルに溺れていた」。という終わり。
暴力的に話は終わるが、この物語の話の面白さよりも、この共感の微妙なラインを踏むスリルが頭に残る。話に笑うわけではなく、書き手のいたずら心の目配せを感じる。
『横山大ピンチ』という話の魅力は、書き手の目配せである3点目にある。
この話を書く時、書き手はどう考えたのか、考える。
この状況を用意し、書く中でディティールを描く(1点目)、その状況をギャグ漫画的な切り取り方で描く(2点目)。
以上の2点はこの状況において、書く中でも考えられることだと思う。しかし3点目は書く中で思いつく瞬間が想像できない(逆に1,2点目も想像でしかないが)。
この話は、ただ話としては3点目を除く描写で完結している。普通に風景を考えると3点目にはたどり着けない。その、たどり着けないが、共感できるギリギリのスリルを地点にたどり着けることが、この文章を読むことの楽しさ/魅力になっている。